大学時代に2年半付き合った私の彼氏。そう、彼は左利きだった。
なぜかわからないけど、いつも私は右にいた。彼氏がそれは
「右にいてくれた方が安心するから。」
と言ったから、私は自然に右にいるようになった。
大学の専攻が違っていたけれど、暇さえあれば一緒に学食でご飯を食べたり、バイト
までの間一緒に過ごしたりと、「若さ」もあったりしてか、すごく一緒にいようとする
気持ちが二人の恋愛を燃えさせていたような気がする。
初めて、彼の家に遊びに行った時に、彼のお母さんにご飯を食べていくように言われた。
「あっ、やっぱりこっち側に座るんだね。」
と私が彼氏に小さくつぶやく。それは、いつも通りの彼の右隣りだった。
「俺、左利きだから、なんでも右にいてくれた方が便利なんだよね。」という彼氏。
そう言って、私の右隣りにあった空いているダイニングテーブルの椅子に座る。
箸を左手に持つ彼と、私の右手がごつごつと当たりそうになる。
「こういうことなんだ。」と話しながら、彼はお母さんが用意してくれた私の左隣の
椅子に移動した。
「あっ、でもなんかトントンって当たるのも一緒にいるって感じでいいかも
しれないね!」
なんて、甘い言葉をお母さんの前でも平気で話す彼。
そんな彼と卒業後遠距離恋愛で別れてしまった私は、しばらく左隣りがすうすうする
感じがした。人と付き合うとその人の「癖」をも好きになっちゃう私は、その後
付き合う彼氏がみんな右利きだから、どっちに座ろうが何も気にしないのだけど、
たまに今はあの彼の右隣りにはどんな彼女が座ってるんだろうと気になる。
未練とかじゃなくて、自分の過去を美化しているのかわからないけど、あの頃は
楽しかったなって思える思い出が結構あるから、そんなことを気にしてしまうのかも
しれない。こんな美化した思い出を思い返すのは私だけなのかな。
メンタルを強くするには
メンタルを強くするには運動も必要なのか?
私はやる気のない子供時代を過ごした。それを今悔やんでいる。メンタルを強くするには運動も必要と聞く。
人生はあっという間である。
私は太っていることもあって、恐らくそんなに長生きはしないだろうと思っている。
やりたいことは全部やってきた。
これについては、自分でも本当に良かったなとしみじみ思っている。
諦めてばかりだったら、きっと今頃後悔していたと思うから。
でも、今更過去についてあれこれ言っても仕方がないのだが、学生時代もう少し頑張れば良かったのにと思うことがある。
私はやる気のない人間だった。
勉強もスポーツも真面目にした記憶がない。
何となく進学して何となく就職して。
はっとして真剣に取り組むようになったのは、大人になってからだった。
それはそれで良いのだが、小学生中学生の頃、もっと本気で体育を学ぶべきだったと思う。
いつも怖かったし自分に自信が無かった。
どうせだめだろうと思いながら取り組んでいたから、結果も当然ダメダメ。
それに、怪我することが非常に怖くて上手くやることができなかった。
少々痛くしても良いからやれば良かった。
今、40になってそんな風に思っている。
周りのみんなだって、怖くても自信が無くても頑張って挑戦していたに違いない。
私は弱虫だった。
強くなりたいとつくづく思う。
私は自意識過剰なのか、凄く周りの空気や人の目を気にしてしまう。
それもまた必要なことなのかもしれないが、気にし過ぎて失敗してしまったり落ち込むこともないわけじゃない。
これもまた体育から逃げていたからなのだろうか?
メンタルを強くするには、身体を動かすことも必要だと聞く。
これからでも良いから頑張るべきかもしれない。
私は、私の人生を真面目に本気で生きて行きたい。
本音と建前を使い分ける
相手の事を気遣い、本音と建前を使い分ける。日本にいる時は、本音が分からなく、相手がどう思ってるか分からないから恐いなって思う時があって嫌いだった。
でも海外に来て5ヶ月の今、私は日本独特の「相手の気持ちまで気遣って発言すること」がとても懐かしく素晴らしい文化だと思うようになった。
こちらに来て1ヶ月の頃、かなり年上の方にお茶に誘っていただいた。その方が選んだお店に入り、散々悩んだあげく、私はパフェを注文した。
しかし、運ばれてきたパフェはとてつもなくまずかった。変な味がするのだ。パフェじゃない味が。
2~3口、口に運んでからなかなか進まない私に彼が訪ねた。「美味しいですか?」と。
彼の顔には期待があった。なぜなら、そこはただ連れて来てくれたお店ではなく、彼のオススメのカフェなのだ。「美味しい」という返答を待っていると思った。でも、美味しいと言ってしまうと全て食べないといけない。だからといって、まずいとは言えない。
ほんの数秒の内に、色んな思考を巡らせて考えた結果、「面白い味ですね」と言った私。
沈黙になった。日本語が話せる彼だったが、分からないのかと思い、彼の母国の言葉でもう一度繰り返して言ってみた。やはり、沈黙。
そして、返ってきた返事は「そんな言葉はない。」だった。確かに。おかしな文になっている。けれども、私の気を使った気持ちも分かって欲しいと思い、説明したが理解できないようだった。
「味はまずいか、美味しいか。そのままを伝えないとあなたの気持ちが分からない。」
確かに。ガツン!とくる言葉だった。それからは、まずいと言うように頑張っている。
それが、正しいとは思う。間違っていない。
けれども、やっぱり私は懐かしくなるのだ。自分のことではなく、相手の気持ちを考え、気遣いと一緒に発言する日本人の心が。