懐かしい高校生活
私の通っていた高校は、自由や自主性を大切にする高校だった。制服も無く、楽しそうな校風に惹かれて受験をした。
国数英の3教科が得意で、理社はどちらかというと不得意だった。
私が行きたかった高校は県立高校だったので、5教科で、私立を受ければもっと偏差値の高い高校も選べた。
親もより偏差値の高い学校に行かせたがっていたので私立を勧めてきたし、塾の先生も同様だった。
多分、みんながあまりにも「ダメ」というからか、その反発心もあり私も譲れなかった。
苦手な理社を猛勉強をし、最終的にはヤマかけをして、それが見事に当たったのもあり、無事に合格できた。
もう私の頭の中には楽しい学校生活しかなくて、制服もどんなのを着るかなどいろいろ考えていた。
しかし、入学説明会の時に、私たちの代から制服が決められるというのを聞いてものすごくショックだったのを覚えている。
それまでは眠くて、校長先生だが、何先生だか分からない人がいろいろ話していたが、、ほぼ眠っていたのだが、制服ができるという衝撃発言で、一気に目が覚めた。
可愛いリボンもネクタイも、チェックのスカートもブレザーも欲しいものを目星をつけていたのに、合格してから伝えるのはズルい。
しかも説明会での私の格好は赤チェックのミニスカートにカラーシャツにリボンにルーズソックスという、新しい校則にすべて引っかかっていた。
ちょうど私が高校生になる頃は、もうルーズソックス人口も減ってきていたが、ずっと憧れていた女子高生スタイルは譲れなかった。
しかも、2・3年生たちは自由な制服なのに、私たちだけダサい制服なんて絶対嫌で悔しかった。
なので、高校入ってから生徒会の選挙に立候補した。公約としてかかげたのは先輩達と同じような自由な制服だと、全校生徒と先生の前で言ったら、体育館がざわめいたのを覚えている。
言っているだけでは何にもならないので、署名活動をまず始めた。
同じ学年の女の子は、みんな喜んで署名してくれたし、部活に入っていた私は先輩達にも署名を集めるのに協力をお願いしたら、快く引き受けてくれた。
男の子もブレザーやネクタイをしたい子も多かったみたいで、積極的に協力してくれた。
署名に参加したい人が増えてきたので、ノートをもう一冊用意したが、いろんな人から人へと渡っていて、どこにあるのか分からなくなっていた。
しばらくしてからノートが2冊とも帰ってきて、全校生徒とまではいかないけれど、かなりたくさんの署名が集まっていた。
応援のメッセージなどもすごく嬉しかった。
そして生徒会で校則について話し合う日、みんなが協力してくれたノートを持っていき、校則を元に戻して欲しいと訴えた。
しかし先生達は、ノートに触れることすらせずに却下し、その後私のことを無視した。
みんなが協力してくれた署名のノートは今でも大切にとっておいてある。
悔しくて悔しくて仕方なかったが、どうすることもできなかった。
その後も反発運動を何回かしたが、相手にされないか、怒られるだけだったが私は諦めなかった。
そして結局、私は生徒会をクビになった。生徒会クビは前代未聞らしい。
制服に関しては思い通りに行かなかったけど、楽しい高校生活だから良しとしよう。
仲のいい友達すら、私が生徒会をやっていたことを忘れている。
何せ私は、学校で指折りの問題児だったそうで、卒業もギリギリだった。
でも卒業が目標だった私としては楽しい学校生活だったので、全てがいい思い出だ。